境内

笛吹の杜(神山)

古墳

笛吹神社古墳(奈良県指定史跡)・笛吹神社古墳群

 境内御本殿の傍らに棺槨を完備した円形墳がある。槨は粗質の花崗岩を以って積み、玄室の中央に石棺を置く。棺は凝灰岩で出来ていて蓋の突起が特に大である。横穴式石室は玄室の長さ五.九五米、同幅二.三四米、羨道長さ五.一〇米、同幅一.六米である。又、神域である神山一帯には八十基程の古墳が分布している。

おまけ

お祀りされているのは、「健多乎利命(たけたおりのみこと)」と云われています。

《御祭神天香山命→→→健多乎利命→→→笛吹連》

古墳の手前も入り口も扉が付けられており、中に入る事は出来ません。

当社の西側の山は「神山(こやま)」と言います。元々この名の通り、神山が信仰の対象であり、ここで祭祀が行われていました。
 我が国に仏教が伝えられ、徐々に神社も本殿を建てて神様をお祀りするようになりましたが、当社の本殿はなぜこの場所に建てられたのでしょうか。
 山の頂上でもなく、山の正面でもなく、神山に分布する80基程の古墳の中で一番大きな古墳「笛吹神社古墳」よりも低い場所なのか。

たまに、「古墳の中はみれませんか?」「古墳の中にはいれませんか?」と問い合わせがありますが、上記の説明をしています。

波々迦木(ハハカノキ)

『波々迦木は大和笛吹の社からこれを請け取るなり』(古事類苑)
 『笛吹のはゝかの木をきりて都に奉りぬれば神司亀の卜する事にぞ侍りけるとかや』(奥儀抄)

 天皇が御即位された年の新嘗祭は大嘗祭といい、御代一代の大祭祀で盛大に執り行われる。その斎田の土地は占い(卜定)で決められる。 その卜定には、波々迦木が用いられた。その波々迦木は、前記にあるように、当社の神域のものを奉る吉例となっていた。 近年、自然環境の悪化により数が激減していたが日本製紙株式会社の御協力により増殖に成功し、現在は苗木を育成している。

イチイガシ

笛吹神社イチイガシ林(奈良県指定天然記念物)

 奈良盆地周辺の扇状地の極相はイチイガシ林であることが知られているが、現在残っている処は少ない。そうした中で、当社の社叢は海抜一七〇米前後の扇状地にあり、境内南向き斜面のものはイチイガシ林としての保存状態が良い。
 学術上、教育上、環境保全上極めて重要であり、保存とともに後継樹の育成にも力を入れている。

大砲

境内中程の広庭にある大砲は日露戦争後、明治四十二年六月に政府より奉献されたものである。当時日本各地の神社や主要施設に奉納されたが、大東亜戦争中又戦後に大半が軍に上納され、当時のままの姿で残る例は数少ない。

おまけ

全国に奉納された多くの戦利兵器は、大東亜戦争中は軍の供出(お寺の鐘まで持っていかれる時代)にあったり、戦後は進駐軍に引き上げられたりしたそうです。

当社への奉納にあたっては、汽車(現在のJR和歌山線)から降ろして、今のような舗装もされていない道を、人や牛や馬が引っ張って3㎞程の距離を運んできたようです。

戦中戦後、人手も少ない中供出や引き上げの話が来たとき、当時の宮司(社司)が「人手もないのに・・・持って行ってくれはんねやったらどうぞ~」と言ったとか言わなかったとか。

よく、「火の神様やから残ってるんですか?」とか聞かれますが、そうでもなさそうです。

お手洗い

駐車場

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紫陽花

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紅葉

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